「わたし×キャリア×人生」遠回りしたけど、遠回りしたからこそ辿り着ける場所がある。

こんにちは!ラフリーライターのyoppyです。
今はアートディレクター兼ライターとして比較的ごきげんに働いている私ですが、キャリアについては右往左往がありました。正直、今の職業に就くまで遠回りもたくさんしましたが、だからこそ辿り着けた場所があるなと感じています。

これから「どうやって働こう」とキャリアに悩んでいる女性に「そんな人生もあるんか!」と楽しみながら読んでもらえれば幸いです。

目次

THE!優等生の子ども時代

私は九州・長崎の生まれで、例に漏れず九州男児の厳格な父親と専業主婦の母親の間の三女末っ子として生まれました。父親は厳しい人だったので教育や躾にも厳しく、やや制限の多い生活をしていました笑。

・中学生まで夜9時に就寝
・休日も夕方6時が門限
・テレビのチャンネル権は父(教育テレビやニュース、相撲、ファミリー向けのバラエティなど)
 友達の話についていけず幼少期は苦労しました…。
・父の前ではゲーム禁止

などなど。女4人(母+子ども3人)が集まったとしても、父親には絶対に逆らえない家でした。
しかしその教育のおかげか勉強は比較的できたし、自分としても楽しいものだったので、小学校低学年時、将来の夢は「小学校の先生」でした。

実は長いこと、漫画家を目指していた

娯楽が少ない中で読書はいくらしても怒られなかったので本はよく読んでいて、その流れで漫画も大好きになりました。文字や絵を追っていくだけで、現実では起こり得ない世界を想像したり体験したりできるし、泣いたり笑ったり怒ったり…色々な感情を経験できる「物語」は私を夢中にさせました。

絵を描くのも昔から好きで、チラシの裏面にイラストをたくさん描いていて、だんだんと漫画家に興味を持つようになりました。小学生〜中学生の頃は割と本気で漫画家になりたいと思っていてGペンを買ったりトーンを買ったりして描く練習をしたり、話を考えたりもしていました。そこから転じて高校はデザイン系の学科がある学校に行きたいなーなんて思ってました。

父と先生から猛反対を受け、「夢」が消えた数年間。

しかし進路について話をすると、父や先生から猛反対を受けました。父は7人兄弟で親も早くに亡くしたため学歴が中卒止まり。子どもには良い学校に行ってほしいという気持ちが強かったようで、『進学校に進みなさい』『デザインや漫画家なんて、才能のある一握りの人しかなれない世界だ』と一蹴されてしまったのです。

まだ子どもだった私はそんな父に逆らえず、言われるままに進学校を受験し、そのまま流れに乗るように大学に進みました。変わらず漫画や絵は好きでしたが、勉強にとられる時間が多すぎて本格的に執筆することは難しく、その道は諦めてしまいます。ここからは「夢」というものは一旦なくなり、『とりあえず就職しなきゃ』で、就職に臨みました。

「なんか面白そう」で選んだ会社で、図らずもデザインの世界に再会

大学の卒業学部は「文学部」。ただ本が好き、という理由だけで文学部を選んだ私。就職の時は様々な会社を受けましたが(40社ほどエントリーしたと思います)、その中で決めた会社は化粧品の通販の会社。会社で夏祭りをする、と言っていてその日はみんな浴衣で仕事をしている、という話が選んだポイントの一つでした(笑)。

会社ではまず新卒が全員コールセンター局に配属となり、自分たちの会社のお客様がどんな人たちなのか、どんな営業トークをすればクロスセルできるのか、などを叩き込まれます。その後、私は希望が通り企画チームに異動となりお客様にお届けする会報誌カタログの編集ディレクターをさせていただけることになりました。

もともと「企画」という職種がただ面白そうで希望したのですが、実際働いてみると想像以上に楽しくて!お客様をイメージしてその人に買ってほしい商品を考えたり、誌面のラフを描いたり、コピーやセールスライティングを考えたり、商品撮影をしたり(ライティングのスキルはこの時に培った経験が大きく活きています)。デザインは電通やADK、TOPPANといった大手の広告代理店に発注をかけていて、デザインの初稿が上がってくる瞬間、心はワクワクドキドキ!すっごくやりがいを感じてました。

しかし、毎日残業続きの日々に、将来の不安を感じ始める…

当時はまだ「ライフワークバランス」なんて言葉はなく、ひたすら「ワークワークワーク」の時代(笑)。毎日夜の10時までオフィスは誰も帰る気配はなく、0時過ぎまで働いている、朝日を拝むなんてザラでした。企画書を書きながら、マックで深夜にポテト3個もおかわりしたり…w

仕事自体は華やかな仕事で楽しいけれど「結婚して、子供が出来たらこの働き方は無理だな」とずっとモヤモヤしていました。どんな生活がしたいか?を考えた時、『クリエイティブの仕事なら、自宅でできる!』とピンと来たのが、今のキャリアの根底です。大学時代から交際していた彼と結婚の話がちらほら上がっていたので、働きつつも在宅デザイナーになる道を模索。美大に行くスキルやお金はなかったので、専門学校に行くことにしました。26歳のときに結婚を機に退職し、その年の4月から専門学生に。夜間ではなく日中のクラスに入学したので、学校では「人妻がいる!」とある意味話題になりました笑。

有難いことに、卒業2年で完全フリーランスへ!

専門学校では企画とデザインを実践形式で学ばせていただき、その後某電鉄のグラフィックメインで作っているデザイン制作会社に拾っていただきました。正社員のつもりで面接にいったら業務委託で働かないか?と言われ、特に雇用形態にこだわりがなかった私は二つ返事で了承し、余った時間で自分の好きなお仕事を自分でとって仕事をするようになりました。だんだんと個人で請け負う仕事の量が増えてきて両立が難しくなり、完全フリーを決断します。専門学校を卒業して2年後のことでした。

「教育」「本」「企画」「デザイン」全てがつながっている

その後はあっという間!フリーになってしばらくして法人を立ち上げ社会人の女性向けデザインスクール「コペンカレッジ」、クリエイティブ制作会社「コペンフラップ」を設立し、今も頑張って運営しています。

未経験から在宅デザイナーを目指すCopenCollege
クリエイティブ制作会社 コペンフラップ

私のキャリアの現在のメインは「デザイン」「ライティング」なのですが、ここに至るまでに様々な遠回りをし、その度に異なるスキルを習得してきました。でもそのどれもが今の職種で重宝されているように感じます。今となっては、あの時進学を勧めてくれた父や先生にも感謝をしています。

小学校時代の夢だった「先生」は、今教育事業をやっていることにつながっています。
読書や漫画の経験は、ライティングやコンセプトワークのスキルにつながっています。
大学卒という経歴は、クライアントと話をするときに信頼感を持ってもらえます。
企画の仕事の経験は、そのままデザインの現場でも使えていますし、クライアント側の気持ちにも共感できます。

これまでの自分の経験を、すべて活かせる場所がきっとある

もしかしたらこの記事を読んでいるあなたも、自分のキャリアに悩んでいるかもしれません。もしかしたら遠回りだと感じているかもしれません。でもどんな経歴だったとしても、そこから得られるものはきっとあるはず。スキルとスキルは掛け合わせることで、唯一無二の武器になる場合があります。そんな、自分の魅力を一番発揮できるキャリアをみんなが見つけられると良いですね。

ライターyoppi

私もまだまだ夢半ばです!
よりよいキャリアを一緒に探していきましょう〜!

この記事を書いた人

クリエイティブディレクター兼ライター。2人の女の子姉妹を育てながら休日は毎週全力投球でお出かけを満喫。アート鑑賞やおしゃれで可愛い雑貨ハントが大好き!常に楽しいことを探しています。

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